2014年11月12日更新 マリ保健省およびWHOによるエボラ症例対応への評価

 2014年11月10日に、かねてより公表されていたマリで初めてのエボラ症例についての対応評価がマリ保健省およびWHOから発表されました。症例の詳細は以下のとおりです。

症例に関する詳細

 この症例は家族とともにギニアの都市部Beylaの街に住んでいた2歳の女児です。女児は10月23日にマリのカイ(Kayes)でエボラと診断され、翌日には亡くなりました。

ギニアにおいて: 診断されないままに病気に打ちのめされた家族
 ギニアに住んでいた頃の女児の状況は、彼女の幾人かの家族がエボラウイルス病で死んだことを強く示唆しています。死んだ家族のほとんどは赤十字のボランティアによって安全に埋葬されましたが、最近まで一連の流行の中での検査は行われていませんでした。

 ギニアの状況は、保健省、その地方の健康保健局、WHOやその協賛者たちが、直面するたくさんの難問に挑んでいることを示しています。

 女児の命運は10月3日に原因不明のままに父親が死亡したことから始まりました。

 この父親は赤十字の職員で、女児の(父方の)祖父が所有する個人診療所での手伝いもしていました。この祖父は現役を引退した医療従事者でした。

 女児の父親は、この個人診療所で仕事をしているときに、原因不明で亡くなった隣村の農夫と接触がありました。9月12日のことでした。この農夫は二人の娘たちに連れられて、治療を求めてやってきました、9月23日に、二人の娘たちも、ひとりは夜明けに、もうひとりは夕方に、原因不明のまま亡くなりました。

 シエラレオネからのWHOの情報は、強く、公立または国境なき医師団が運営するエボラ治療センターでの治療とは対照的に、民間医療施設でのエボラへの治療は感染への高いリスクを運び込んでいることを強く示唆しています。ケネマ(Kenema)において、医療従事者での新規患者の87%が民間で運営する一般の診療所で感染していました。

別れのための帰還
 女児の父親は9月第3週にはときどき異常を自覚していました。ベイラ(Beyla)に住む仲間の住民や隣人は、彼が村長と口論したことによる不幸の「呪い」の犠牲者であると信じました。エボラではなく、魔術が疑われました。

 共同社会から避けられ、(女児の祖父であり家長である)自分の父親の助言で、父親はMoussadouの小区域であり、彼の故郷であるSokodougouの村に戻りました。70キロ以上の旅でした。そして、そこで彼は10月3日に息を引き取りました。

 年齢を重ねたため、また、死ぬために生まれ故郷に戻るということは、ギニア、リベリア、シエラレオネ、そして、これらを取り巻くたくさんの国々で自然に見られる光景です。

 症状のあるエボラ患者によるこのような頻繁な旅行は、多くは長距離にわたって、公共交通機関が使用されており、患者が家に帰る途中で、帰り着いたとき、また、家族や友人たちと挨拶が交わされたときに、疑いもなく、感染リスクに曝されるたくさんの機会を生み出しています。

診断:エボラ
 一方、ベイラでは家長でもある祖父が10月8日に原因不明の病気で彼の妻を亡くしていました。彼は、その後、保健当局が亡くなった息子(女児の父)と接触した可能性のある16家族の接触者追跡を行うことを許可しました。

 翌日(10月9日)、息子のうちの二人が病院に入院しました。病院は彼らを国境なき医師団が運営するマセンタ(Macenta)のエボラ搬送センターに二人を移しました。

 一人目の息子は、同日マセンタへ搬送の途中に亡くなりました。二人の息子の献体は10月10日にエボラ陽性であることが判明し、他の家族もエボラウイルス病で死亡したことが強く示唆されました。

 10月16日、祖父はマセンタに出かけ、病院スタッフにリウマチ関節炎なので受診したいと告げました。徹底した検査の一部として、エボラ検査が行われました。10月17日に陽性であるとの結果が受け取られました。祖父は10月20日にゲケドゥ(Gueckedou)のエボラ治療センターで息を引き取りました。

マリで初めての症例がギニアを離れる
 ギニアでの親戚の死亡の知らせを受けて、女児の祖母(Grandma:第二婦人の母方の祖母)がギニアのベイラに女児の親戚へのお悔やみのために出かけました。Grandmaはマリのカイに住んでいました。

 彼女は10月19日にギニアを離れ、マリに向かいました。このとき、初の症例である2歳の女児と5歳の姉を連れてきました。母方の叔父、母の兄も彼女らに同行しました。三人の長旅が始まったとき、ギニアで初の症例である女児は出血の徴候をみせていました。

 母親は存命で、マリの対策チームと定期的に電話連絡を行っています。彼女は40日間、公式に喪に服すために夫(女児の父親)が埋められた村に残らなければなりませんでした。健康監視をしている中で、いままでのところ何の症状も示してはいません。

 家族は公共交通機関、少なくとも一台のバスと3台のタクシーを使ってマリに向かって移動し、その距離は1200kmを越えるものでした。バスは何度も乗客の乗降や燃料の補給のために停車しました。そのうち4人は25人の家庭にいる親族を訪ね、首都バマコで2時間を過ごした。

 10月19-20日、彼らは首都バマコからカイへ夜通しバスで移動しました。その途中、二人がNiamiga村でおりました。長く続く経路はセネガルのダカール、そしてフランスのパリとを結びます。

 カイで一度、女児は祖母とともに伝統的な治療者を訪ねています。二人目の治療者を訪ねたところ、40度以上の熱があり、子どもの高熱による警告域にあったので、現役を退いた看護師のところに連れていきました。彼らが最近ギニアを旅行してきたことを知り、エボラを疑い、治療できる病院を探すことをアドバイスしました。

 女児は10月21日にカイの病院に入院となり、23日には検査陽性の結果を受取り、エボラと診断されました。女児は所定の場所で防護具と所定の手順にしたがって感染予防を行う隔離病棟に入院し、治療を受けましたが、10月24日に死亡しました。

マリで続く緊急対策
 WHOとの協力の下で、保健省はサーベイランス、接触者追跡、症例管理、安全な埋葬、人と物の流通の地域協力を含む項目の調整された対策を準備するために事例への指揮系統を確立しています。

 これまでのところ、マリの保健省を筆頭に感染対策に関係する機関は、医療従事者33人を含む、108人の発病患者との接触者を確認し、25人が21日間の健康観察期間を完了し、調査体制から開放されました。

 79人の接触者は女児の治療が行われた病院とカイの地域社会の中でのものです。全員が監視下にあります。いままでのところ、エボラの徴候を示しているもの、エボラ検査陽性の者はおりません。

 政府はバマコにあるワクチン開発センターでの隔離施設の完成を加速させています。隔離施設はエボラの食い止めに成功したセネガルとナイジェリアでその場所を置くことが戦略の一部でした。

 バマコは、よく機能しているバイオセーフティーレベル3の検査室を持っています。そこは、以前、結核菌とHIVの診断作業を進めるために米国国立衛生研究所から支援を受けて設立されたところです。検査室は現在、エボラのサンプルを安全に検査するために再利用されています。

 出血徴候を認めていたマリ国内で初の症例からの暴露に続く広がりが起きていないことで、継続かつ徹底した接触者の追跡、隔離と所定の場所での健康監視、さらには信頼が膨らんでいます。

出典

WHO, Media center, Ebola situation assessment,10 November 2014
Mali case, Ebola imported from Guinea
http://www.who.int/mediacentre/news/ebola/10-november-2014-mali/en/

参考

FORTH新着情報
マリにおけるエボラ症例について(続報) (2014年11月4日更新)
http://www.forth.go.jp/topics/2014/11041308.html

マリで最初のエボラ症例が確認されました (2014年10月27日更新)
http://www.forth.go.jp/topics/2014/10271339.html