中東呼吸器症候群-サウジアラビア王国

状況概要

世界保健機関(WHO ; World Health Organization)は、2024年9月5日、サウジアラビア王国(以下、「サウジアラビア」という。)保健省より、中東呼吸器症候群コロナウイルス(MERS-CoV ; Middle East respiratory syndrome coronavirus)のヒト感染例1例の通知を受けました。この症例は、サウジアラビア東部地域に居住する基礎疾患のある50~55歳の男性で、ラクダとの接触歴はなく、医療従事者でもありませんでした。濃厚接触者の追跡調査は完了しており、二次感染者は発見されていません。今年に入ってから、4例の死亡例を含む5例の症例がサウジアラビアから報告されています。この症例報告に関わらず、WHOの総合的なリスク評価が変わることはなく、リスクは世界レベルでも地域レベルでも中程度に留まっています。

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発生の詳細

2024年9月5日、サウジアラビア保健省はMERS-CoV感染例1例をWHOに通知しました。
この症例は、サウジアラビア東部地域に居住する50~55歳の男性で、2024年8月28日に発熱、咳、息切れ、動悸を認めました。8月31日に地元の病院に心疾患として入院し、9月1日に複合医療施設に移送されました。同日、患者は医療者の助言に反して自主都合で退院しました。
9月1日に採取された鼻咽頭ぬぐい液は、重症急性呼吸器疾患(SARI ; severe acute respiratory illness)定点サーベイランスの一環として国立公衆衛生研究所で検査され、9月4日にリアルタイムポリメラーゼ連鎖反応(RT-PCR ; Real-Time Polymerase Chain Reaction)検査によりMERS-CoV陽性の結果が得られました。この患者は退院後、MERS-CoVを確認する検査結果を受け取る前の9月2日にパキスタンに渡航しました。
この患者は非医療従事者で、いくつかの基礎疾患を有していました。現地調査の結果、ラクダと接触したとの情報はありませんでした。サウジアラビアでは、この患者と接触した世帯員1例、医療従事者23例、患者2例の追跡調査が完了しており、二次感染例は報告されていません。
サウジアラビアでリストアップされた濃厚接触者のうち、1人は9月4日にサウジアラビアから南アジアに渡航しました。渡航の詳細と個人情報を入手し、接触者の追跡を開始しましたが、この高リスク接触者に関連する二次感染例は確認されていません。
2024年9月5日、サウジアラビアの国際保健規則(IHR ; Internatioanl Health Regulation)担当部局(NFP ; National Focal Point)からパキスタンIHR NFPに、患者の渡航とMERS-CoV陽性の結果が通知された際、患者はパキスタンにおり、保健当局は患者を公立病院に移送し、厳重な隔離と既存の合併症の管理を行いました。
パキスタン国立衛生研究所/国立レファレンス・ラボラトリ―で、患者と濃厚接触者の繰り返し採取された検体を含む合計41の鼻咽頭検体が採取され、検査されました。患者の検体は陽性を示しましたがウイルス量は低く、接触者の検体はすべて陰性でした。家族や医療従事者を含む濃厚接触者は14日間注意深く監視され、二次感染例は確認されていません。
患者はMERS-CoVの検査で陰性が確認されたため、9月13日に退院しました。経口薬の服用継続と5日後の再診指示のもと、経過観察は9月19日に終了し、患者の完全な回復が確認されました。
今年に入ってから、4例の死亡例を含む合計5例の患者がサウジアラビアから報告されており、今回の症例は、前回のDisease Outbreak Newsが2024年5月8日に発行されて以来、初めて報告された症例です。

中東呼吸器症候群の疫学

MERSはMERS-CoVによって引き起こされるウイルス性呼吸器感染症です。MERS患者の約36%が死亡していますが、MERS-CoVの軽症例が既存のサーベイランスシステムで見逃されている可能性があり、また致命率は検査確定例のみに基づいて算出されているため、本来のこの疾患の致命率に対して過大評価となっている可能性があります。MERS-CoVの自然宿主であり人獣共通の感染源であるヒトコブラクダとの直接的または間接的な接触によって、ヒトはMERS-CoVに感染します。MERS-CoVはヒトからヒトへ感染する能力があると証明されています。これまでのところ、非持続的なヒトからヒトへの感染が濃厚接触者や医療現場で起こっており、医療現場以外でのヒトからヒトへの感染は限られています。
MERS-CoV感染症は、無症状または軽度の呼吸器症状を示すものから、重篤な急性呼吸器疾患や死亡に至るものまで様々です。MERSの典型的な症状は発熱、咳、息切れです。肺炎はよく見られる所見ですが、常に見られるわけではありません。下痢などの消化器症状も報告されています。重症化すると呼吸不全を引き起こす可能性があり、集中治療室での人工呼吸器による補助が必要となります。このウイルスは、高齢者、免疫力の低下した人、腎臓病、癌、慢性肺疾患、糖尿病などの基礎疾患を持つ人ほど重症化しやすいと考えられています。
WHOへのMERS-CoV感染症例報告数は、COVID-19緊急事態の間に大幅に減少しました。当初、この減少はCOVID-19に対する疫学的サーベイランスを優先したことに起因していたと考えられています。両疾患の臨床症状が重複しているため、MERS-CoVとしての検査や検出が減少した可能性もあります。2022年以降、サウジアラビア保健省は、MERS-CoVを定点サーベイランスの検査アルゴリズムに含め、インフルエンザ、RSウイルス(RSV ; Respiratory Syncytial Virus)、SARS-CoV-2(COVID-19の原因ウイルス)の検査結果が陰性であったことを受け、MERS-CoVをよりよく検出できるよう、検査能力の向上に努めています。さらに、SARS-CoV-2の感染を抑制するために実施された公衆衛生対策(マスクの着用、手指衛生、物理的距離の確保、室内換気の改善、咳エチケット、自宅待機命令、移動の制限など)も、MERS-CoVのヒト-ヒト感染の可能性を減少させたと考えられます。SARS-CoV-2への感染やワクチン接種で、MERS-CoV感染や重症度が低減した、あるいはその逆の相互防御の可能性は仮説として考えられていますが、さらなる調査が必要です。
MERS-CoVに対する特異的なワクチンや治療方法はありませんが、様々な研究開発が実施されています。現在は患者の臨床状態や症状に基づいた支持的な医療が提供されています。

公衆衛生上の取り組み

サウジアラビアとパキスタンの保健省は、リスクの高い接触者に対して14日間の潜伏期間中、毎日モニタリングを行い、検査を行うなど、積極的な接触者調査を実施しました。病院では呼吸器疾患のトリアージが実施され、呼吸器症状のある患者の早期発見が可能になりました。
さらにパキスタンでは、症例の早期発見を確実にするため、すべての医療・介護従事者を対象に、症例定義に関する包括的な再教育が開始されました。同時に、手指消毒薬や個人防護具などの感染予防管理用品を確保しつつ、感染予防管理基準の適用やMERS-CoVの感染予防策に焦点を当てたトレーニングセッションが現在進行中です。さらに、罹患者の家族全員を対象とした健康意識向上のためのセッションも準備されています。
WHOは、加盟国のMERS-CoV研究と調査を支援するため、最新のMERS-CoV統一研究プロトコルを発表しています。

WHOによるリスク評価

2012年にサウジアラビアでMERS-CoV感染が初めて報告されてから現在までに、WHOの全6地域にまたがる27カ国でヒトへの感染が報告されています。MERS-CoV感染症例の大部分(2,205例、84%)は、今回新たに報告された症例を含め、サウジアラビアで報告されています。
この症例報告に関わらず、全体的なリスク評価に変更はありません。新たに報告された症例は、サウジアラビア国内でMERS-CoVに感染したと考えられます。しかし、この症例はパキスタンに渡航しており、高リスクの接触者1名も14日間の追跡期間中に南アジアに渡航していることから、国際的伝播の可能性が高まっています。両者とも、発症前で検査結果が判明する前に渡航を手配していました。
WHOは、MERS-CoV感染症例が中東、およびMERS-CoVがヒトコブラクダ間で循環している国からさらに報告され続けることを予測しています。また、ヒトコブラクダやその関連製品との接触(例えばラクダの生乳の摂取など)や医療現場でウイルスに曝露された人が、他国へ移動するケースも報告され続けることが想定されます。MERS-CoVのヒトからヒトへの感染は、特にこの感染症に精通していない国で感染の特定が遅れたり、疑いのある症例のトリアージが遅れたり、標準的な感染予防・管理対策の実施が遅れたりした場合に起こる可能性があります。
WHOは引き続き疫学的状況をモニタリングし、入手可能な最新情報に基づいてリスク評価を実施します。

WHOからのアドバイス

現在の状況と入手可能な情報に基づき、WHOは、MERS-CoVを含む急性呼吸器感染症についてすべての加盟国による強力なサーベイランスの重要性を再度強調し、検査アルゴリズムを適用し、異常なパターンがあれば慎重に検討することを求めています。
医療現場におけるMERS-CoVのヒトからヒトへの感染は、MERS-CoV感染の徴候や症状の発見の遅れ、疑い症例の隔離の遅れ、感染予防管理対策の実施の遅れと関連しています。感染予防管理対策は、医療施設内でMERS-CoVが人々の間に広がることを防ぐために重要です。医療・介護従事者は、医療現場ですべての患者と接する際に、標準予防策を一貫して適用すべきです。急性呼吸器感染症の症状がある患者をケアする際には、標準予防策に加えて飛沫予防策も講じるべきです。MERS-CoV感染の可能性が高い、または確認された症例をケアする際には、接触予防策と眼の防護具を追加すべきです。エアロゾルを発生させる処置を行う際、またはエアロゾルを発生させる処置が行われる環境では、空気感染予防策を適用すべきです。MERS-CoVのヒトからヒトへの感染は、早期発見、症例の管理と隔離、接触者の隔離、医療現場における適切な感染予防・管理対策(過密状態の防止を含む)、公衆衛生意識の向上により防ぐことができます。
MERS-CoVは、糖尿病、腎不全、慢性肺疾患、免疫不全者などの基礎疾患を持つ人ほど重症化しやすいと考えられています。したがって、このような基礎疾患を持つ人は、ウイルスが循環している可能性のある農場、市場、または畜舎地域を訪れる際には、動物、特にヒトコブラクダとの濃厚接触を避けるべきです。動物に触れる前後には、石鹸と水による定期的な手洗いやアルコールベースの手指消毒など、一般的な衛生対策に従うべきです。病気の動物との接触は避けるべきです。
食品衛生を守ることも重要です。ラクダの生乳や尿を飲んだり、十分に加熱調理されていない肉を食べたりすることは避けるべきです。
WHOは、本疾病の発生をもとに、入国地での特別なスクリーニングを勧めておらず、現在のところ、いかなる渡航や貿易の制限の適用も推奨していません。

出典

World Health Organization(2 October 2024)Disease Outbreak News; Middle East respiratory syndrome coronavirus - Kingdom of Saudi Arabia
https://www.who.int/emergencies/disease-outbreak-news/item/2024-DON536

海外へ渡航される皆様へ

MERS-CoVは、コロナウイルス科ベータコロナウイルス属の一種で、主に中東地域で発生が確認されています。ヒトや一部の動物に感染することがあり、特にヒトコブラクダがウイルスの保有宿主とされています。MERS-CoVは、ヒトコブラクダなどの感染動物やその体液に接触することで感染することが多いとされています。また、感染したヒトとの濃厚接触でも感染することがあります。MERS-CoVに感染すると、発熱、咳、息切れなどの症状が現れ、重症化すると肺炎、腎不全を引き起こすことがあります。FORTHウェブサイトで訪問先の国の感染症流行情報を確認し、MERSが発生している国へ旅行される際には、以下の点にご注意ください。

1.衛生管理
  • 農場や市場、畜舎を訪れる際には、動物(特にヒトコブラクダ)との濃厚接触を避けましょう。
  • 動物に触れる際や触れた後には、必ず石鹸と水で手を洗い、アルコールベースの手指消毒剤を使用しましょう。
  • 病気の動物との接触は避けることが重要です。

2.食品安全
  • ラクダの生乳や尿を飲んだり、十分に加熱調理されていない肉を摂取したりすることは控えましょう。
   
3.渡航中・渡航後の健康管理
  • 発生国からの帰国時に発熱や咳などの呼吸器症状がある方や、ラクダやMERSが疑われる患者に接触したと思われる方は、検疫所の担当者に相談してください。
  • 渡航中・渡航後の体調の変化に注意し、発熱や咳などの呼吸器症状がある場合は、すぐに医療機関に相談し、海外渡航歴および動物との接触歴を含め、MERS-CoV感染のリスクについて医師に伝えてください。

備考

厚生労働省委託事業「国際感染症危機管理対応人材育成・派遣事業」にて翻訳・メッセージ原案を作成。
 
For translations: “This translation was not created by the World Health Organization (WHO). WHO is not responsible for the content or accuracy of this translation. The original English edition “Middle East respiratory syndrome coronavirus - Kingdom of Saudi Arabia. Geneva: World Health Organization; 2024. Licence: CC BY-NC-SA 3.0 IGO” shall be the binding and authentic edition”.
For adaptations: “This is an adaptation of an original work Middle East respiratory syndrome coronavirus - Kingdom of Saudi Arabia“. Geneva: World Health Organization (WHO); 2024. Licence: CC BY-NC-SA 3.0 IGO”. This adaptation was not created by WHO. WHO is not responsible for the content or accuracy of this adaptation. The original edition shall be the binding and authentic edition”.