写真・図面に見る施設の詳細
長濱検疫所のライフライン
-
上水道等について
施設内に自噴の井戸が3か所あり、300トン、100トン、80トンの貯水槽があり施設に給水していました。創建当時、鉄管の長さは185間5尺(約0.4㎞)あり、また、震災後の被害状況調査によると約4,600尺(約1.4㎞)でした。なお、下水道もあったようですが詳細は不明です。
-
線路
施設内には荷物の搬入等のため「軽便線路」がありました。線路は、未消毒桟橋・既消毒桟橋、一号浴室・二号浴室、汽罐及び消毒所や一号停留所の周辺などくまなく行き渡っていたようです。明治43年(1910年)当時の長さは総延長で640間5尺(約1.2㎞)あり、また、震災後の被害状況調査によると総延長は4,700尺(1.4㎞)でした。
-
桟橋について
陸から海側に向けて2本の桟橋が延びており、左側が未消毒桟橋(上陸用)で、右側が既消毒桟橋(乗船用)でした。図面では同じ長さのように見えますが、未消毒桟橋は60間(109メートル)、既消毒桟橋が65間(118メートル)で9メートル既消毒桟橋が長かったようです。
-
防波堤について
2つの防波堤から構成されており、長い方が北方防波堤で140間(254メートル)、短い方が南方防波堤で50間(90メートル)ありました。
「長濱検疫所之圖」(明治43年12月)に描かれている線路(①)、桟橋(②)及び堤防(③)
震災後の施設全景写真に見られる荷物を押す職員(白色)
長濱検疫所・横浜検疫所の主な施設の写真
(1) 大正時代
<②二号浴室>
海側より撮影
二号浴室の内部です。
浴槽の手前で汚染された衣類を脱ぎ「薬浴槽」に浸かった後、消毒された衣類に着替えていました。
<③一号浴室の内部>
手前が脱衣所です。奥には浴槽とシャワー等が見えます。
<④細菌検査室>
西側より撮影
細菌検査室の内部
<⑤汽缶室の内部>
消毒を効果的に行うため蒸気と共に加熱による消毒を行っていました。
船客等が脱いだ衣類を薬剤等で消毒していました。
衣類は「番号札」を付けて船客等が間違えないようにしていました。
<⑦船塵消毒所>
本船塵介消毒室
船内に潜んでいるねずみやノミが病原体を運ぶため、荷物等を下ろした後、船舶を消毒・燻蒸していました。
(2) 昭和28(1953)年
<①横浜検疫所長濱措置場全景>
海上より撮影
<②一号停留所及び附属舎全景>
西側より撮影
<③一号浴室及び事務所遠望>
東側より撮影
<④一号停留所>
海側より撮影
山側より撮影
<⑤二号停留所>
海側より撮影
山側より撮影
<⑥一号浴室・既消毒休憩室>
海側より撮影
<⑦一号浴室・未消毒待合所(手前)等>
山側より撮影
<⑧渡り廊下(一号浴室~一号停留所間)>
東側より撮影
<⑨事務所>
海側より撮影
山側より撮影
<⑩二号浴室>
海側より撮影
山側より撮影
<⑪細菌検査室>
海側より撮影
山側より撮影
<⑫試験動物舎(旧細菌検査室)>
西側より撮影
<⑬伝染病院>
海側より撮影
山側より撮影
<⑭伝染病院事務室>
海側より撮影
山側より撮影
(3) 昭和40(1965)年~50(1975)年頃
<①事務所、一号浴室及び一号停留所遠望>
海側より撮影
<②一号浴室及び事務所遠望>
東側より撮影
<③事務所>
海側より撮影
<④試験動物舎(旧細菌検査室)及び伝染病院>
東側より撮影
<⑤一号浴室及び事務所遠望[昭和48(1973)年]>
東側より撮影
<⑥防波堤[昭和48(1973)年]>
山側より撮影
(4) 昭和59(1984)年
<①全景>
海側より撮影
<②事務所及び一号浴室>
海側より撮影
<③附属舎(三号停留所・迎賓館)>
海側より撮影
<④一号浴室及び事務所遠望>
東側より撮影
(5) 平成3(1991)年・6(1994)年
<①横浜検疫所長濱措置場門柱(平成3年)>
山側より撮影
<②一号停留所及び附属舎(三号停留所・迎賓館)(平成6年)>
海側より撮影
<③一号停留所(平成6年)>
海側より撮影
<④附属舎(三号停留所・迎賓館)(平成6年)>
海側より撮影
(6) 検疫所本所の施設等
出典:『神奈川縣港務部要覧』神奈川県立公文書館所蔵
明治35年(1902年)「港務部官制」の施行により、検疫業務が神奈川県港務部の所掌となります。
右上は当時の港務部本庁舎です。庁舎の後方には桟橋があり船舶からの煙が見えます。
左下は港務部見張所です。明治41年(1908年)横浜港内を埋め立てて設置しました。階上に見晴台があります。1階には事務室、寝室、賄所や浴室などを備えていました。見晴所の職員は、入港船があるごとに港界線付近に停泊した小蒸気船上で臨検を行い、消毒等必要な場合は長濱検疫所へ廻航するよう命じていました。
昭和27年竣工の横浜検疫所本所専用の庁舎です。
現在の庁舎(下の写真)から数十メートルほど大桟橋寄りにありました。
現在の横浜検疫所本所が入居する横浜第二港湾合同庁舎です(昭和48年竣工)。
大桟橋の入口にあります。
長濱検疫所の図面
(1) 長濱検疫所之圖(明治43年9月10日実測神奈川縣港務部)
敷地約14,370坪、建物約1,244坪、棟数38、海中に120間の防波堤、その内に65間の木造桟橋を架し、船客や貨物の陸揚げに用いていました。
上等船客用に14の停留室、一般船客用には100人収容の停留室があり、それぞれ男女の浴場、化粧室があったほか、消毒施設はもちろん、食堂、談話室、伝染病院、火葬場まで設けられ、当時としては本格的な検疫所でした。
(2) 長濱検疫所之圖(明治43年12月)港務部
(3) 長濱検疫所(明治43年神奈川縣港務部要覧)
出典:『神奈川縣港務部要覧』神奈川県立公文書館所蔵
(4) 長濱検疫所案内(大正10年)
(5) 長濱検疫所の図(昭和10年6月)横須賀鎭守府検閲済
(6) 長濱検疫所平面圖(昭和12年11月20日)横須賀鎭守府検閲済
昭和12年10月、内務省衛生局より長濱検疫所の設備等について調査があり作成されました。
三号停留所(昭和28年)です。
平面図の凡例を見ると「10 三号停留所」と書かれています。
「2 一号停留所」の右前方にあった建物です(矢印)。取り壊す前には「迎賓館」と呼ばれていました。
(7) 横浜検疫所長濱措置場建物配置図(昭和61年3月)
出典:建設省関東地方建設局営繕部
「横浜検疫所長浜措置場建築調査記録」
関東大震災復旧工事の主な施設の図面
(1) 一号停留所
大正13年6月4日起案の「長濱検疫所一号停留所其他復旧工事設計書」には、「一号停留所改築」と書かれており、古材等も使用したようです。右上は小屋組の詳細図、中央上は小屋伏図、左上は床伏図、左中は基礎伏図、左下は平面図、中央は食堂の南北方向の断面図です。
出典:『大正12年~昭和2年港務部営繕管理課』神奈川県立公文書館所蔵
右上が停留所全体の平面図、右下が南北方向の断面図です。出窓が設けられたことが分かります。
壁に取り付けられた窓の内側には両開き式のカーテンがあり、丈はカーテンレールから床上まであります。
食堂の写真にカーテンが見られます。
出典:『大正12年~昭和2年港務部営繕管理課』神奈川県立公文書館所蔵
食堂(昭和28年)
(2) 検疫所事務所
震災後の事務所について、「大正12年9月1日 震災被害調査表控」 では、「傾斜 大破壊」とあり、大正13年2月25日起案には「長濱検疫所事務室其他新改築工事設計書」(事務所を事務室と表現)とあることから「新築」であったことが推察されます。
出典:『大正12年~昭和2年港務部営繕管理課』神奈川県立公文書館所蔵
正面2階のペディメント(切り妻屋根の下部)には、漆喰細工の葡萄紋様の花飾りが設けられました。
出典:『大正12年~昭和2年港務部営繕管理課』神奈川県立公文書館所蔵
事務所階段です。
(3) 伝染病院
伝染病院は幅65㎝ある「煉瓦隔壁」が特徴で、病室と事務部門を分けていました(写真①)。
出典:『大正12年~昭和2年港務部営繕管理課』神奈川県立公文書館所蔵
図面の矢印の辺りから撮影した写真です(昭和28年)。
写真左側に「煉瓦隔壁」(矢印)が見えます。
昭和28年当時の伝染病院の室内です。
(4) 細菌検査室
野口英世が勤務した細菌検査室です。
震災前と同じ建坪(29.25坪〔96.5㎡〕)に改築しました。
右下の図面の左側が検査室(6室)で渡り廊下を経て右側に控室がありました。
昭和24年からは、試験動物舎として使用していました。
出典:『大正12年~昭和2年港務部営繕管理課』神奈川県立公文書館所蔵
試験動物舎控室と廊下(昭和46年)
昭和28年当時の試験動物舎内部の写真です。
うさぎが見えます。
(5) 一号浴室
一号浴室は、上等船客用の浴室として設けられました。
船客等は、まず図面①未消毒待合所で脱衣カゴに衣類を脱ぎ、②へ移動します(脱いだ衣類と持参物は全て消毒室で消毒されます)。
そして②でシャワーを浴び、浴槽につかって薬物消毒を行います。入浴後は③既消毒休憩所へ移動し、用意された浴衣、帯、草履に着替えてくつろいだようです。その後、消毒された衣類に再び着替え、既消毒桟橋を渡って帰船しました。なお、明らかな病人は伝染病院へ、感染症の疑いのある方々は一号停留所へ移動しました。また、浴室には医師等を配置していました。
出典:『大正12年~昭和2年港務部営繕管理課』神奈川県立公文書館所蔵
昭和28年当時、一号浴室の浴室内部です。
シャワーが上に見えます。
昭和28年当時、一号浴室既消毒休憩所内部(写真左側が浴室、右側がトイレです。)
(6) 二号浴室
二号浴室は、一般船客用の浴室として設けられました。
一号浴室と同様に、船客等は、図面①未消毒待合所→②浴槽→③既消毒休憩所へと移動し、消毒された衣類に再び着替え、既消毒桟橋を渡って帰船しました。
明らかな病人は伝染病院へ、感染症の疑いのある方々は二号停留所へ移動しました。また、浴室には医師等を配置していました。
出典:『大正12年~昭和2年港務部営繕管理課』神奈川県立公文書館所蔵
昭和28年当時、二号浴室内の写真です。前室の次が浴槽、シャワー室の順になっています。
【参考】長濱検疫所一号浴室及び二号浴室利用者に対する説明書(昭和5年5月)
<一号浴室用>
表
裏
消毒を命ぜられた上等船客などは、施設の説明書を検疫所職員から配布されました。
表に未消毒桟橋から一号浴室までの移動図、裏には一号浴室内の利用方法が書かれています。
なお、説明書では、施設内の未消毒箇所を朱書きにして注意喚起を図っていました。
同様に、二等浴室利用者にも一号浴室利用者と説明書が配布されていました。
<二号浴室用>
表
裏
横浜検疫所長濱措置場の主な施設の図面(昭和61年3月)
(1) 一号停留所
出典:建設省関東地方建設局営繕部「横浜検疫所長浜措置場建築調査記録」
出典:建設省関東地方建設局営繕部「横浜検疫所長浜措置場建築調査記録」
(2) 二号停留所
出典:建設省関東地方建設局営繕部「横浜検疫所長浜措置場建築調査記録」
出典:建設省関東地方建設局営繕部「横浜検疫所長浜措置場建築調査記録」
(3) 検疫所事務所①
出典:建設省関東地方建設局営繕部「横浜検疫所長浜措置場建築調査記録」
出典:建設省関東地方建設局営繕部「横浜検疫所長浜措置場建築調査記録」
(3) 検疫所事務所②
出典:建設省関東地方建設局営繕部「横浜検疫所長浜措置場建築調査記録」
出典:建設省関東地方建設局営繕部「横浜検疫所長浜措置場建築調査記録」
(4) 一号浴室
出典:建設省関東地方建設局営繕部「横浜検疫所長浜措置場建築調査記録」
出典:建設省関東地方建設局営繕部「横浜検疫所長浜措置場建築調査記録」
(5) 二号浴室①
出典:建設省関東地方建設局営繕部「横浜検疫所長浜措置場建築調査記録」
出典:建設省関東地方建設局営繕部「横浜検疫所長浜措置場建築調査記録」
(5) 二号浴室②
出典:建設省関東地方建設局営繕部「横浜検疫所長浜措置場建築調査記録」
出典:建設省関東地方建設局営繕部「横浜検疫所長浜措置場建築調査記録」